春に投げたブーメラン、冬返る。

人生うまくいっている時、笑顔や感謝を口にするのはたやすい。
それは温かな春風に吹かれ、「気持ちいい」と言うようなものかもしれない。
それは誰にでもやってくるサイクルで、誰にでもできることなのだ。



わたしはしばしば、人生のこういう時期を勘違いしてきた。
まるで自分がいい人になったような、人格が高くなったような気になった。
嫌なことがあった後にだいたいその時期はやってくるので、なおさらそう思った。
春風が吹くと立派なことを言い、北風が吹くと台無しになった。
まさに今がまた、人生において何回目かの、春風かもしれない。



恥ずかしいけれど、立派になりたかったし、立派に見せたかった。
それはいつでも、自分の成分の一部としてある。
これを書いている今も、自分の中に存在する。
そいつはいつの間にかハンドルを握っているので、たまにおいおい、と肩をたたかねばならない。



「また北風は来るから、あまり立派に振る舞いすぎるなよ。」
それは自分の相棒なので、うまく付き合っていかねばならない。
エネルギッシュで強欲なエゴイズムだとしても。



誰かに何かを解くことは、北風がやってきた時、自分の無能ぶりをさらすことになる。
わたしはそういうケースを見た。
自分もさらしてきたことだろう。
それが盛大にならないよう、はっと気づいた時、肩をたたいてやらねば。
特にこのような時期は。