デオドラントと口コミ

わたしは、口コミは当てにならないと思っている。
体質は一人一人違う。
自分に合うデオドラントは、結局のところ自分の体で試すしかない。


人に商品をすすめることが、他の人のためになるとは限らない。
それは人によっては効くし、
人によっては効かないし、
人によっては悪化することもある。


デオドラントが効いて、人生が素晴らしくなる。
同じ悩みを抱える人に教えてあげたくなる。
それは親切心かもしれない。
しかし自分が勧めたもので、他人が悪化するリスクもあることを忘れてはいけない。


「自分が良かったからといって、他人にとってそうであるとは限らない」というスタンスは、いつでも少しだけ持っていたいと思う。



レビューを業者が書いていることもあるだろう。
商品を売りたいだけで、わたしたちの体のことなんて少しも考えていないような業者は存在する。
食品関連でニュースになるように。


悪評を削除する口コミサイトもあるようだ。
商品を売るため、いいことだけ書きたい売り手の気持ちも分かる。


わたしたちにできることは、自分で調べることだ。
メリットだけでなく、「デメリット」も検索することだ。
泣き寝入りしている人の声は、見えやすいところには出ていない。



いろんな面があることを知ったうえで、何を選ぶかは個人の選択だ。
書かれていることを鵜呑みにして選ぶのと、
メリット・デメリットを知ったうえで選ぶのは
違うことだと思っている。

ワキガ会議をしている裏で

ワキガは、本人が気づいていないと思われがちだ。
もちろん、自覚していない人もいるだろう。
しかし大人になるにつれ、気づくタイミングはそれなりにある。



「気づいているなら、匂わないはずだ」と思われるかもしれない。
気づいているなら対処してよ、となおさら思うかもしれない。


自覚していて匂うというのは、
ワキガがそれほど単純ではないことを物語っている。
匂う=何もしていない
とは限らない。




ワキガの同僚がいて困っている、という質問サイトがあった。
匂いはデリケートで、周囲も指摘しづらい。

周りが、傷つけずにどう気づかせよう?と頭を悩ませる中。
その人は、とうの昔に気づいているかもしれない。
さりげなくデオドラントを勧めたらどうか?と考える。
それはとうの昔から使っているかもしれない。
もう手術を受けているかもしれない。

それでもなお、匂う人もいる。




こんなことを言っても、周りの人にとって辛いことは変わりない。
わたしは自分の体験を通して、こういうケースもある、ということを伝えることしかできない。
それで充分だと思っている。

疑問をもつ

多くの場合、
心からやりたいことと、
意識がやりたいことは違っている。
わたしたちは本心に気づかないまま、あるいは無視して過ごしている。
それだけ意識はでしゃばりだ。
いや、意識が主役になるよう、教育されてきた。



心は、楽しさ、うきうきした気分、したい、したくないなどの感覚だ。
意識は、いい、悪い、した方がいい、しない方がいい、成功したい、人からこう見られたいなど、物質的な欲や、頭で考えることだ。


二つの矢印の向きが一致せず、差が大きくなったとき、人は心の調子を崩してしまうのではないかと思う。




しかしそうした生き方は、大人になると普通だ。
大人になって心のままに生きていると、社会不適合者と呼ばれる。



いい大人になるには、自分の心を押し殺し、マニュアル通りにやらなければならない。
歯車の一員になることが通常営業だ。
枠からはみ出れば、蔑まれ、叩かれる。
恐れから本心でない行動をとる。
心から生きていない大人がたくさんいて、当然だ。



しかし、それは当然なのだろうか?
心を殺して生きることが。
自分はそれでいいのか?
それを、望むのか?

そこが重要だと思っている。




社会の仕組みが、社会の常識が、わたしたちのいきいきした部分を殺している。
そういった側面もある、ということに、思いを馳せてみてもいいと思う。
アイツがおかしいと思ってきた。
アイツがおかしいという価値観がおかしいと思ったことはあるか?



今まで普通と思っていたことは、本当に普通なのだろうか?
自分はそれを望んでいるのか?




以上です。
ありがとう。

自分の体験ー4

どん底にあった時期、家族の愛情に触れた。

兄は、いつも話を聞いてくれた。
決めつけたり、意見を押しつけず、いいとか悪いとか、こうすべきとか一切言わなかった。
兄にはなんでも話せた。
金銭的なことは、父に助けられた。


わたしは布団にくるまれるように保護された。
それは自分の能力でも実力でもない。
家族や社会のサポートを得られない時、ホームレスになったり、自殺するのだと思った。
自分と別の世界と思っていたことが、すぐ隣にあった。
自分には環境が整っていた。
家族に恵まれていた。
それだけの違いしかない。



意識が求めていること。
心が求めていること。
わたしの中で、二つの願望は食い違っていた。
その差は大きくなり、限界がきて弾けた。


本心は、人から離れたかった。
田舎に帰りたかった。
意識は、そんなことできないと言った。
願望の実現のため、人に関わらねばならないし、働かねばならない。
今を維持すること。
それが自分のやりたいことだと思った。


立派といわれるため、
有名になるため、
社会人として恥ずかしくないよう、
行動を起こす。
それは本当にやりたいことじゃない。
恐れだ。


自分に誇りがもてなくなる。
それが嫌で起こす行動だ。
根底には、立派でない人たちを卑下している自分がいる。
結局、もがいて、もがき苦しんで、しがみついていた手は離れた。




しばらくは、全てを失ったように感じた。
躁鬱、ワキガ、先の見えない不安。
しかし顔をあげると、そこには美しい自然があった。
一人の時間、自由に使える空間、小鳥の鳴き声。

それは自分がうつむいている間も、そこにあったのだ。
どちらに目を向けて過ごすかは、自分次第なのだと思った。
どちらも存在している…
風が吹き抜けていくようだった。
失ったことは、同時に得たことだった。




今は幸い、働かずに生活させてもらえている。
薬で抑えたり、隠そうとする段階を終えた。
苦しみの源は、ワキガでも、躁鬱でもない。
自分の心にあると思っている。



新しい見方を学んでいる。
心から生きる練習をしている。
そのための時間や場所を、家族が提供してくれた。
そうでなければ、焦り、恐れ、不安に捉われ、今までと同じやり方を繰り返していたかもしれない。
もしくは生きていなかったのかもしれない。
安心の中、発信している。





読んでくれてありがとう。

自分の体験ー3

電池が切れたように下降していく。
意欲が沸かない。
頭の回転が鈍る。
朝が辛い。
夜になると部屋に篭った。
死にたい気分が襲ってくる。


鬱の症状と、妙な行動力が共存していた。
混合状態だ。
夜になると部屋でしくしく泣く。
それを払拭するように、その時間にかけもちのバイトを始めた。
どこが極限か分からない。
それは弾けた時にわかる。



その朝、無断欠勤をした。
今日は行けないし、明日からも行けそうにないと思った。
辞めたくなかった。
どうすればいいかわからなかった。
心も体も、バラバラだった。



兄にSOSを出した。
物事は一気に収束していく。
バイトを辞める手続きの多くは、兄が代わりにしてくれた。
荷物をまとめ、兄が一人住む実家へ帰る。


この時初めて精神科に通った。
精神疾患のいくつかは、同じ症状が重なる。
ある時点だけで断定することはできない。
ある程度特定できても、風邪のように薬を飲んで解決とはいかない。
自分に合う薬と量を探すことが、そこから始まる。


わたしは双極性障害二型で、ほぼ間違いないと思っている。
症状が落ち着くと、病院にいかなくなる人が多いという。
しかし次にやってくる波が大きくなっていく傾向があり、悪化していくケースもある。
躁鬱は基本的に一生薬を飲む。
量を調整しながら、一生フラットを保つことが目標になる。


そういうことを知りながらも、早い段階で病院に行かなくなった。
先生は悪くなかった。
ただ、胸の中に言いようのない違和感があった。
デオドラントで匂いを隠すことと重なった。
根本的な部分は別のところにある。

薬を飲みながら元の生活を送ろうとするより、活動の水準を下げることを望んだ。
他の人と同じレベルで生きようとすることをやめたいと思った。



わたしは躁鬱に関して、「早く治りますように」「元気になってよかったね」と言われるのが苦手だ。
それは切り離される部分ではない。
一つの波が終わったにすぎず、
また波はくる。
骨と肉が癒着しているように、自分自身なのだ。

しかし混合状態はそうは言っていられない状況だった。



混合状態が終わり、ひたすらダウナーな時期に入る。
外出が辛く、ひきこもった。
意欲はわかず、一日中横になることもある。
しばらくは全てを失ったように感じた。
自己嫌悪の日々。
ただただ、うちのめされていた。

本当の自分に気づく

わたしはある時点からワキガが悪化しました。
物心ついたときからそうであった人もいるでしょう。
匂いの悩みは、人格形成に大きく関わるように思います。


あの出来事があったからこうなった、ではなく、自分の元々の性格のように吸収してしまっているかもしれません。
自分からそれを取り出すのは大変です。
でも取り出さなくても、認めるだけでいいのだと思います。
自分の心にそういう部分があると、気づくことです。
見ないふりしたり、臭いものに蓋をせず、静かに見つめることです。


匂いにより、自分の全てがダメやなったように感じるかもしれません。
しかし、あなたという“人格”は、ほんとうは、匂いがあっても、あなたのままです。
自分本来の性格と、匂いによって変わった性格は、別だということを感じてみてください。


誰かに微笑んだり、優しくあれます。
それは匂いがあっても、あなたらしい瞬間です。
美しい作品が作れる。
効率よく仕事ができる。
それらも匂いと関係ないことです。
自分らしい瞬間を見つけてみてください。
自分の欠点を補うために、資格をとったり、上手くなろうとすることではありません。
自分がすでに持っているものに気づき、掘りだし、埃をはらうことです。


誰しもに魅力があります。
あなたらしくいてください。
どうか、好きなところ、好きでないところ、両方を含むあなたを好きになってください。


たまに見せる笑顔や、臆病だけど自分には心を開いてくれるとか、雰囲気、声が好き、背の高さや、
自分で分からないような部分を好きになる人もいます。
そして好きでも、臭いものは臭い。
それとこれとは、別なのです。


自分の欠点がみられることに怯えなくていい。
それが自分なのだから。
それを隠すために、魅力まで隠さなくていい。
あなたは、あなたでいい。

自分の体験ー 2

25歳、
フリーターをしていた頃。
長年使っていたデオドラントが効かなくなる。
バイト仲間で匂いに反応する人が現れる。
自分が匂うことが分かっていて、周囲と過ごさなければいけない時間は、発狂しそうだ。


ネットの口コミやレビューを参考に、より効きそうな商品を購入。
何度か匂いチェックをする。
とりあえず大丈夫そうだ。


好きな服を着て、電車に乗り、美容室に行く。
相手のふとした仕草や表情がなにか変だな、と感じる。
もともとそういうことに敏感だ。
強めに脇をこすり、匂いを確認する。
ひどい匂いがした。
びっくりした。
今までにない匂い。


短期のバイト先では鼻をつままれた。
自分が出た後部屋に入った人が「くさっ!」と言った。
自分が座るベンチにの後ろ側に座っているおじいさんに向かって、離れて立つ仲間のおじいさんが、「お前よくそこに座れるなぁ」と言った。


今まではスタンダードのワキガだった。
匂いが漏れてたとしても、露骨な態度をとられることはほとんどなかった。
わたしはここから重度のわきがが始まったと思っている。

・鼻からワキガの匂いがする。異様にベタつく。
・耳が異様にべたつく。
・シャワーを浴びているとき、アルコールのような、むせかえるような揮発した匂いが充満する。
・一日中臭う。脇が乾いているときも臭い。


友人には会えなくなった。
前の自分が本当で、今の自分では会えないと思った。
人が集まる場所にはなるべく行かなくなった。
しかしバイトは辞めるわけにいかない。


固定のバイトはいい人達だったが影で言われているのは分かる。
一番辛かったのは、バイト仲間が自分の脇の匂いを確認するような仕草をはじめたことだ。
ニュアンスを伝えるこのは難しいが、自分に気づかせるためではなく、自身の匂いを気にしているように見えた。
それを見るのはどんな言葉を浴びせられるより苦しかった。
周りのみんなも辛かったと思う。
それでもその時、辞めるという選択ができなかった。


この頃にはデオドラントを使うのが恐くなっていた。
手術は調べたうえで選択肢から外した。
これについてはまた改めて書きたい。
リスクの少ない方法を探した。
体質改善に方向転換。
食事制限、運動、半身浴、
調べたことはどんどん取り入れた。


もはやプライベートの楽しみはなく、心休まる時間もない。
望みは目的の実現だけになっていた。
それは暗闇の中の唯一の希望になっていた。
ようやく結果が出始めたところだった。
それはさらに自分を固執させた。
他がどれだけ辛くても、夢さえ叶えばいいと思った。
ここで崩れるわけにはいかない。
そのためにお金を貯めていた。
働くことを辞めることはできなかった。


落ち込めば落ち込むほど運動をし、心を前向きにした。
匂いのもとは昨日食べたアレのせいかもと思い、食事制限の項目は増えていった。
脅迫観念にかられるように、掃除をした。
気分を前向きにするため、動き続けた。
それらの行為は、自分の中のセンサーを、ますます狂わせたように思う。


食事制限を始めて一年。
その期間は終わりを迎える。

つづく